こちらは青春番外地

ツイッターでは溢れることを書きます。「ですます」「である」が混在していますが、書いた時の気分次第です。面倒なので統一はしません。

大学4年間の振り返り

◆少し気が早いのですが、追いコンを2つほど終え、卒業の実感が湧いてきたので、振り返ろうと思います。

 

◆1年生

 怒涛の1年でした。シンプルな高校生活ではなかったので、友達もおらず、情報も入らない状態だったので「向こうから転がってきた話には全部のる」「頼まれごとは全部やる」という目標を立てたことを思い出します。

 その結果、まー色々やりましたね。4月に勧誘された部活に入り、ゼミの先輩に勧誘された役員をやり、同じく先輩に誘われたバイトをはじめ、授業でできた友達とサークルを立ち上げ…。あ、そうそう裁判のお手伝いにも首を突っ込みましたね。これはいい経験になった。夏までは、部活と役員とバイトでてんやわんや。

 秋口には、いわゆる”グループワーク”的なものが始まったのだけど、生徒と比べて学生のダメさというか、無能さというか、調整能力のなさというか、主体性の無さというか、とにかく「こいつら仕事できねえな…」みたいなフラストレーションが溜まって「これ、大学いても意味ないんじゃね?」と思い始めました。

 と、いうことで真面目なことにコミットすることはやめて、適当に声かけた女の子と遊んだりして、なんかよくわからないうちに付き合ってたり、意味不明な理由でフラれたりしました。男子校出身者としては「女の子は意外とチャラい生き物」という学びがありました。冬は、課程の連中とそんな遊びばっかりしていたような。

 あっという間に終わった1年でした。この頃できた友達の中には、今でも一緒にいる人もいるし、なんやかんやいい1年でした。

 あ、あと「2年生はヒマだ」という話を散々聞いて、なんか面白いことしてえなあ、と思い名古屋でルームシェアをはじめる。

◆2年生

 春は調整事がたくさんあって、「やっぱこいつらダメだな〜」と思うことたくさん。一方で、バイトが楽しくなってきて、バイトばかりしまくる。このバイトは3年生まで細々と続けるんだけど、振り返ればここからずっと「バイトは会社」でした。だから、バイトだけで仕事する、みたいな経験があまりない。ここはちょっと勿体無いなー、と思うところ。飲食とかやってもよかったな〜。

 話は変わるけど、飲食でバイトしてる友達は、会社でバイトしてる人に対して「ストレス耐性ない」的なレッテル貼ってくる(「客にキレそう」「店長に文句言いそう」など)けど、会社でバイトするのもなかなかにストレスだから。ってか、プレッシャーもあるし。そういう安直なレッテル貼りに対してヘラヘラ笑えるのもストレス耐性ある証拠だろ。

 会社で仕事できない中年やら管理職に、丁重にお願いや相談するのだいぶストレスだぞ。何回も同じ事質問されたりするし。「それさっきも言ったやん!」「いやそれ資料見ろや」みたいなことたくさんあるし。おめえらが「メニュー見ろや」「この客感じわる」みたいな奴のお客が常連で毎回いるみたいな状態だぞ。それをなんとかなだめすかしたり、気を使ったりして味方につけて、仕事しやすくしたりするのが「会社バイト」の醍醐味だからな。なんなんそのレッテル貼り。腹たつわー。

 って書いてて思ったけど、これ働いてた頃もそうだったわ。飲食バイトくらいでストレス耐性ついたと思って、会社バイトの人たちを「ストレス耐性ない」と断じる奴は、就職してからストレス耐性がついてないことに気づくと思います。知らんけど。

 この頃、生徒時代の親友が異動で遊べるところにやってきた。ここから遊びにブーストがかかった印象。課程の連中も、部活もバイトの連中も、名古屋の人はケチなので、遊びそのものが面白くなかったけど、やはり奴らの遊びに対する真摯さは群を抜いている。あ、たまに横須賀行ったり、地元の旧交を温める機会もあって人付き合いがリスタートした感じがある。

◆3年生

 所属する団体で自由に振る舞えるようになる。バリバリの改革派で、色々なことを変えた自負はある。でも、僕の掲げたビジョンと、現在の立ち位置から見える景色や、現有戦力に乖離がありすぎて、うまくいかない。民度の低さと一言で片付けてもいいんだけど、民度を向上させることも施策として考えるべきだった。「一度痛い目にあってみれば、わかるはず!」と考えて、本当に最後の最後のセーフティーネットだけ準備して痛い目にあってもらってんだけど、全く改善されない様子を見て、「ああ、この方法ではダメだったか…」と気づいたんだけど、遅かった。

 もっと、好意を集めて、感化善導していくスタイル(相手の自主的な変化を待つのではなく)でいくべきだった。やっぱ、時代はインタラクティブが鍵だと、ここでも痛感。

 夏にいくつかインターンにいき、行ったところほぼ全てから内定をもらう。で、就活は終了した。「うらやまし〜」とか色々言われたけど、長期インターンは正直しんどかった。まず、長期インターンに参加する奴らと僕では、持ってる知識量が違う。具体的にあげれば、企画を出すときの思考法(KJ法とか)からクリエーティブのディティール(フォントとか)まで、そういうことをちゃんと授業やゼミ、サークルで身につけてきていた。それが大多数で、僕は突拍子も無いことを さも「ブレイクスルーできそうな案」「本質をついてそうな案」っぽくでっち上げて提案することしかできなかった。

 正直、自信を完全に喪失した。インプット量でも、アウトプットの質でも、アイデアのセンスでも、学内ではあまり負けないだろう、と思っていたのだけど、世の中は全然甘くない。僕はまだまだだし、雑魚だ。長期インターン中、友人の家に泊まらせてもらったんだけど、急に深夜目が覚めて、辛すぎて号泣した。見られるのが恥ずかしすぎて、スマホと充電器と財布だけ持って近所のビジネスホテルに泊まった。そしたら財布の中のお金じゃ足りなくて、カードで決済した。

 インターンの同期は朝、スタバ片手に部屋に現れて、お昼になると小洒落た通りの露天の手作り弁当を買ってきて食べてた。僕も真似してそんなことをしてみたら、みるみるうちに財布からお金が消えていった。僕は晩ごはんも朝ごはんも自分で買わないといけない。彼らは実家で作ってもらえる。寝坊すれば僕はタクシー、みんなは親が送ってくれる。お金がなくてもお弁当を作ってもらえる。

 東京に実家もないし、実力もお金もないし、心に余裕もない。もうこんなの無理ゲーじゃん。って本気で思ってた。やりたいことをするためのモノが、僕には何もないことにようやく気づいた。

 書いてみるとこんなのよくブログで見るな、みたいなストーリーになった。振り返ってみると、誇張してると思ってた孤独感溢れる「人生しんどい」みたいなブログ、実話だわ。

 まあリアルに泣きながら、体調とメンタルをズタボロにされながら長期インターンを何社か回って、血反吐を吐きながら選考通ってなんとか3年生の12月には進路が決まりました。よかったよかった。まだみんなは当然 就活なんてしてなくて、「みんな呑気だなー」とずっと思ってた。よかった、暑いなかリクルートスーツ着る羽目にならなくて。

 そこからはバイトとデートと飲み会の日々。

◆4年生

 飲み会でちょくちょく上京したり、暇だったので北海道行ったり。旅行にむちゃくちゃ行った。東海地方にいるものあと少しだなー、と思ったので岐阜県やら三重県やらの観光地をフラフラ。

 今のうちに行かないと、愛知出身のアドバンテージなくなるなあと思っていろんなお店に行ったり、歴史や土地の勉強したりもした。細かいいろんなことを「知っている」というのは最初は「あ、これ愛知出身が希少な世界ではアドバンテージになる!」と思っていたんだけど、歴史を知ったりするってのは、シンプルに楽しい。縁のある場所のことを学ぶのは、人生を豊かにする秘訣だ。なので、いつも安いチェーン店やどこにでもあるようなマイルドヤンキーが経営する安いだけのお店に行ったり、インバウンド向けの観光地を回っている人たちは勿体無いな、と思いました。

 あ、4年生の大半は卒論に費やした。郷土史研究やライフヒストリー調査ってのがなぜだかここでも活きてきた。研究会なんかに参加したり、主催したりして、すごく楽しくやることができました。本来楽しいはずの卒論のお勉強(だって、学びたいな、とか、面白いな、と思う学部に進学してるんでしょ?そうじゃないなら、主体性ある人生ではないので、色々考え直したほうがいいよ)が辛いと言っている人をみてるとなんだかなあ、と思う。これは自慢なんだけど、卒論では学会賞を受賞しました!やったね!

 あとはまだ続いてるんだけど、バイト漬けで楽しかった〜。バイトだって自分で選べるモノのひとつ。主体性を持って考えることができれば、楽しいはずなので、辛いと言っている人たちは色々考え直したほうがいいよね。会社バイトの醍醐味を前述したけど、やはり人と接する(お客-店員 ではなく、立場の上下はあっても本質的には対等である同僚として)のは楽しい。

 4年間で痛感したのは、「他人は鏡」だということ。ちょっと強面の上長も、こちらが笑顔で前向きに接すれば、相応の姿勢で返してくれる。逆に、イマイチな感じで後輩が来ると、こちらも気分が乗らないので、よくしてあげられない。機嫌の変動はあるけど、パブリックな場では、なるべくフラットな変動になるように努力して、感じ良くしていきたい。

 低年次の頃は、周りの人間がデキないやつだと思って接したことが「鏡となって」帰ってきて、あまり信用されなかった感がある。でも、バイト先やインターン先の上長と接して「他人は鏡」であることがなんとなく本質的に理解できてきてからは、(つまり高年次になってからは)周囲を信頼するようにして、なんとなく「鏡となって」信頼された感じがする。平たく言えば「頼られることが増えた」ということ。

 「他人は鏡」はトラブル予防とメンタルヘルスにも役立つ。「こいつは危ない」「こいつはストレスの元」と思う人間に対しては、適当にあしらえば「他人は鏡」なので、向こうも必要以上に接してこない。まあ、どこで線引きをするのかについては、まだまだ磨きが必要ですね。逃した魚が大きいことも度々。選球眼を磨いていこう。

 以上、総括すると「学ぶことの面白さ」と「他人は鏡」ということを学んだ4年間でした。良き学生生活でした!お世話になりましたみなさまに感謝!