こちらは青春番外地

ツイッターでは溢れることを書きます。「ですます」「である」が混在していますが、書いた時の気分次第です。面倒なので統一はしません。

リーダーのあり方について。

 卒業論文の中で、リーダーについて考えることがあったので、備忘録的に記して見ます。

 僕は軍隊オタクなので、日本陸軍のリーダーたちから、リーダーのあり方について考えてみようと思います。

 日本陸軍においてまず注目すべきリーダーは山縣有朋です。彼は、日本陸軍の基礎を作り上げ、「国軍の父」とまで呼ばれる人物です。巧みな政治的手腕で、軍政家としてリーダーシップを発揮しました。軍隊自体が黎明期であったこともあり、彼が築いた派閥が陸軍の大勢を占めることとなります。派閥構築までの手法の是非には議論がありますが、彼の強いリーダーシップが日本陸軍の基礎を作り上げたことに異論はないかと思います。

 しかしながら、軍隊が成熟することで組織が複雑・巨大化したことや、日清戦争において人材の喪失・分散が発生したことで、一人のハイタレントなリーダーが軍隊機構全てを管理することが困難になり、山縣一人の陸軍から、徐々に多くのスタッフにより運営される組織へ移行していきます。

 スタッフによる運営が行われて以降、それを支えるべくシステムも変化し、システムを構築する人間にリーダーシップが求められることになります。児玉源太郎田中義一といった実務家タイプのリーダーが活躍する時代です。

 こののち、陸軍のリーダーは武将のような、責任はとるが口は出さない、部下に自由にやらせ、ドンと構えるのが良いとされ、少壮軍人の台頭を招きます。

 時局は混迷し、軍隊機構内部で停滞感が漂う といった背景から、石原莞爾永田鉄山に代表される再びハイタレント型のリーダーが出現し、活躍する時代を迎えます。彼らの動きは急進的であり、組織に混乱を招き、石原は失脚、永田は暗殺されます。

 日本陸軍におけるリーダーの変遷としては以上です。ただし、当然書ききれない他の要素があることも記しておきます。

 ここからわかるのは、

 1)黎明期にはハイタレント型のリーダーが活躍する

 2)規模が拡大すると実務型のリーダーが活躍する

 3)時局・組織に停滞感が漂い始めると再びハイタレント型のリーダーが活躍する

 という流れがあるのではないか、ということです。

 ハイタレント型のリーダーは、ビジョンを設定し集団を導くと同時に、自らが退いた後も、組織が円滑に運営されるようにシステムを整備する必要があると言えます。いっっぽうで、実務型のリーダーは、組織に停滞感をもたらすことのないよう、運営の中で施策を打つ必要があるといえます。

 学生団体では、ハイタレント型のリーダーによって多くの変革が行われますが、世代交代後これらの取り組みが継続することはあまり見られません。実務型のリーダーによるシステム整備が行われないことが原因だと思われます。

 いつものように思うことをつらつらと書きました。何かの参考になれば。