追いコンの出来/不出来
◆こんなことを書くと、また「人間性を疑う」「人としてどうかと思う」などと色紙に書かれる懲罰を受けるが、もうそんなことは気にせず書いてやろうと思う。
◆はっきり言えば、追いコン/卒コンの出来は卒業生の通信簿である。その組織をどれだけ作り込めたか、その点数がはっきりと出る場面であることは間違いない。もし開かれなければそれは不出来どころか存在が黒歴史ということである。この辺は疑いようがないだろう。これがわからないようではこれより先のことは何も理解できないと思われるので読まないほうがいい。しかしながら、大学の同期はこれらを理解できない人が多数であると思われるので、かなしい。
◆まず、会場だ。だいたいは組織によって、縄張りとするエリアがあり、それに基づき行う。普段は大学のそばなどで集まっているのに、改めて特急で行くようなところでやる必要はない。もしそのような辺鄙な地で行うのであれば、苦情や意見具申を行うべきであり、そのようなことが行われない組織に属する必要は全くないし、おそらく追いコンのレベルもここで記述するレベルではないだろう。
◆また、追いコンは基本的には会話の場であり、食事の場ではないので、立食が可能であることが好ましい。人数分の席の要/不要は、そこでビデオなどを流すかどうかに左右されるので、都合によって分ける。キャパシティと参加人数はうまいことコントロールしなければ熱量が不足する恐れがあるので、十分な配慮が必要。自らパーティーに多く出席し体感を得るか、先輩やお店の人に相談することも重要である。この辺がみんなできない。そもそもお店を知らない。そんな人生…と思うが、それはそれで幸せらしい。
◆次に、進行だ。式次第を作成するにあたり、パートを任せる方には全体像を丁寧に説明すべきだ。「あれ?もう挨拶?」などと言われた時には、もう救いようがない。プレゼントもそれぞれ品物を聞いておいて、優劣が出ないように順序を配慮すべきである。
◆また、重要であるが忘れがちなのが、2次会のお店をある程度(全体の7〜8割くらい)抑えることのできるキャパシティのお店を確保する必要があることだ。これはカラオケ店なので構わないので(むしろマイクがある分進行がしやすい)、準備をするべきである。わかっていると思って書いているが、開始時刻は17~18時ごろが好ましい。当然、2次会までは大多数が進むことを前提とし、3次会あたりで好きなBarや飲み屋などに少数で進み終電で解散することが好ましい。これは常識なので記す必要もないが、実はこのことを理解していない人も多い。なぜなら、「個人によって飲食店の趣味趣向も異なる」という当たり前のことを理解していない人もたくさんいるからだ。彼らは極刑に処すべきだと思う。
◆2次会の集計を取ることが無粋であると考える集団もあるので、そこは空気を読む必要があるが、そのような空気すら読めないようであれば(意図の有無は別にして)、幹事の素養として足りないので、幹事を辞退すべきだった。
◆ここまで、会場と進行について述べたが、これが大部分である。ここさえ良ければ、問題はないので、以下は省いても良い。
◆ドレスコードは、卒業式ほどではないがエレガンスさを出すとよい。お店にもよるが、まともな立食パーティーができる会場であれば、それなりの格好でなければ合わない。大学の部活で経験した卒コンで、結婚式2次会などで使われる式場でVネックシャツにパーカーなみの格好で現れるのが多数、といった行った会があった。その会では一気飲みなどが行われ、極めて下品な会であり、これ以上下品な会を僕は見たことがなほどであった。男性であればジャケット着用程度のドレスコードを定めておくと、OBもきやすい。間違えても、公のお店で部活のジャージ着用などはしてはいけない。
◆そして、何と言っても参加者の意識である。お酒を飲めば、どんなコミュ障でもバカでもそれなりに会話ができる。追いコンは式典であるので、合コン崩れのような会ではない。したがって、それぞれが飲みすぎずに、会話を楽しむ姿勢を持つ必要がある。よって楽しむのは2次会からである。1次会は会話を重視する会であるというのはどのような飲み会でも一緒で変わらないはずであるが、内輪であるがあまり、あるいはそのようなパーティーの経験がないゆえに1次会から泥酔するものもいるが、それは極めて下品であるので避けるべきだ。
◆大学の卒コンは、その集団によってかなりクオリティに差が出る。そこを見極め、4年続けるかを考えるのも一手だろう。4年あれば他人の卒コンに3回出る。2つの集団に属していれば6回も出ることになり、場合によっては幹事を兼任することや複数回経験数することもあるだろう。それはかなり面白く為になる経験なので、ぜひやっておくよよい。レベルが明確にわかるはずだ。僕もいくつかの団体の卒コンの幹事をしたりしたが、それぞれカラーがあり、また明確に良し悪しがわかるものも多かった。大変面白い経験であった。
日記(0314-0317)
◆03/14
日中はお出かけ。上野〜秋葉原あたりを歩く。買い物をしたのち、帰宅。晩御飯はキーマカレー。
◆03/15
この日も生活用品を調達。こっちはスーパーでもQUICPay使えたり、PayPayの普及率もすごい!個人タクシーも電子マネー使い放題だし。夜は先輩が来訪。3Lの箱ワインをいただく。キーマカレーの隠し味に入れてみる、美味。
◆03/16
ついにベットが来る。ダブルでかい!寝るのが楽しみ。マットもよき感じ。夜はNスペをみる。このテーマは、僕の人生のターニングポイントでもあるので、追っていきたい。翌日は帰名するので、生ゴミなど処理する。
◆03/17
朝一帰名、卒コン的なやつ。先生方と、同級と、後輩と美味しい馬肉。馬肉は大変うまく、面白い話をすることもできた。ややアツい話もしつつ、オモチロイ話もたくさんあった。役職を退任する先生のために、花など急いで調達するも、まさかの欠席…残念!明日持っていくことにする。
日記(0308-0313)
◆03/08
前日の余韻が残る中、各所に連絡と挨拶。のち本屋さんに行って、取り置いてもらった本をゲット。翌日の準備。
◆03/09
お引越し。忙しい。
◆03/10
同上。やること多数。
◆03/11
震災から8年。久々に読みたくなり、昼寝前に「死の淵を見た男」を軽く読む。もちろん、軽くは読めない本だが、8年という年月がなんとなく読ませてくれた感じがする。こうして出来事は歴史になっていくのでしょう。僕がそうであるように、みんながそれぞれに考えることがあるのでしょう。それを発信するかしないかは、自由で、自由そのもの と、その自由への姿勢を大切にしていきたい。
◆03/12
誕生日なので彼女に祝っていただく。美味しいご飯。
◆03/13
ようやく家電が揃う。あとは小物を揃える必要があるくらい。江戸川まで散歩。歩いて県境を跨ぐのは初めてかも。東京湾まで5kmの標識。珍しいので写真を撮る。この景色が当たり前に思えるまで、頑張ってみようと思う。横須賀から見える相模湾が当たり前になった時のように、粘り強く、自分らしく。
日記(0304-0307)
◆03/04
午前中は片付け。午後は帰国した彼女とカラオケとお出かけ。色々考えることがある。
◆03/05
東区、ラスト。の予定だったが、翌々日に別件で東区に行く用事が生起。なので、いつも通り、テキトーに過ごす。さっさと切り上げて、片付けの続き。なかなか終わらない。
◆03/06
いよいよ片付け・クライマックス。AMは引き継ぎを1件こなし、友人と栄で合流して彼女の荷物を取りに行く。のち、いつものホルモン焼き→いつものバー→友人宅。モノポリーをやりたかった。モノポリーマスターになりたい。勝ちたい。
◆03/07
東区、まじでラスト。初めて別の駅から歩いて向かい、途中にたくさんのお店があることを確認。開拓を誰かに任せ、いつか遊んでみたい街。AM挨拶回り。少しは力になれたか?周りに恵まれたことに感謝。PMは引っ越し。部屋に机と若干のプリント類しかなくなる。寂しさを感じる。夜はまたホルモン焼き。安いからついつい来ちゃう。幹事だとついつい頼ってしまうお店。うまい!→いつものバー→解散。よきよき。こういう時間をたくさん作って、大切に過ごしていきたい。
日記(0225-0303)
◆02/25
午前中は雑務というか、締め切りの近い書類をこなす。3回目の追い出され。良き良き。やっぱ好きな人たちを集めて楽しくやるのが一番いい。
◆02/26
東区。こちらもまた締め切りの近い手続きと調整。その後、例のおでん屋。
◆02/27
通院。今度はお役所系の締め切り近い手続き。最近こんなのばっか。常に銀行印持ち歩いてる気がする。あと若干のお手伝い。プチ追い出され会、まあいつもの感じ。
◆02/28
午前中は判定業務。お昼は寿司をご馳走になる。夜は4回目の追い出され。理事行きつけのお店。オーナーがなかなかのイケオジだった。
◆03/01
ラスト勤務ってやつ。まだ挨拶回りが済んでいないので、3月の終わりで1回戻るタイミングで挨拶する予定。疲れてパタンキュー
◆03/02
軽く出かける。お返しの品を探すが、なかなか手頃なものが見つからない。そもそもアイデアが浮かんでこない。鮭ジャーキーでいいか、もう。北海道で仕入れておけばよかった。その後軽く運動などして、新居周辺の情報収拾などする。ジムに関しては公営で当分は我慢しておくことにする。自転車が欲しくなる。
◆03/03
なんか疲れが取れていない。家具家電を見てくる。ネット安い!実店舗なんて見本市的運用になっちゃうよね。実際に購買しているのは高齢者のみの印象。若者は型番など写真でとって回っていて、彼らに店員は声をかけない。店員が声をかけるのは中高年のみ。おばあさんはAmazonで10kくらいのこたつを70kで購入した話を聞いて、やっぱ情報感度って重要だなって。なお、情報感度の高い方のおばあさんは、メールで「XXをアマゾンで買って、多分YY円」と指示してくる。最近は時間指定を知ったようで、そこまで指示してくる。ちょっと前には楽天の仕組みを理解し、お気に入りのショップを指定してきたが、ここまでくるとは。年齢なんてどうでもよくて、大切なのはアンテナ意識と損得判断ですね。夜は旧友宅にて、語らい。これもプチ追い出され?良き4年間だとつくづく思う。
大学4年間の振り返り
◆少し気が早いのですが、追いコンを2つほど終え、卒業の実感が湧いてきたので、振り返ろうと思います。
◆1年生
怒涛の1年でした。シンプルな高校生活ではなかったので、友達もおらず、情報も入らない状態だったので「向こうから転がってきた話には全部のる」「頼まれごとは全部やる」という目標を立てたことを思い出します。
その結果、まー色々やりましたね。4月に勧誘された部活に入り、ゼミの先輩に勧誘された役員をやり、同じく先輩に誘われたバイトをはじめ、授業でできた友達とサークルを立ち上げ…。あ、そうそう裁判のお手伝いにも首を突っ込みましたね。これはいい経験になった。夏までは、部活と役員とバイトでてんやわんや。
秋口には、いわゆる”グループワーク”的なものが始まったのだけど、生徒と比べて学生のダメさというか、無能さというか、調整能力のなさというか、主体性の無さというか、とにかく「こいつら仕事できねえな…」みたいなフラストレーションが溜まって「これ、大学いても意味ないんじゃね?」と思い始めました。
と、いうことで真面目なことにコミットすることはやめて、適当に声かけた女の子と遊んだりして、なんかよくわからないうちに付き合ってたり、意味不明な理由でフラれたりしました。男子校出身者としては「女の子は意外とチャラい生き物」という学びがありました。冬は、課程の連中とそんな遊びばっかりしていたような。
あっという間に終わった1年でした。この頃できた友達の中には、今でも一緒にいる人もいるし、なんやかんやいい1年でした。
あ、あと「2年生はヒマだ」という話を散々聞いて、なんか面白いことしてえなあ、と思い名古屋でルームシェアをはじめる。
◆2年生
春は調整事がたくさんあって、「やっぱこいつらダメだな〜」と思うことたくさん。一方で、バイトが楽しくなってきて、バイトばかりしまくる。このバイトは3年生まで細々と続けるんだけど、振り返ればここからずっと「バイトは会社」でした。だから、バイトだけで仕事する、みたいな経験があまりない。ここはちょっと勿体無いなー、と思うところ。飲食とかやってもよかったな〜。
話は変わるけど、飲食でバイトしてる友達は、会社でバイトしてる人に対して「ストレス耐性ない」的なレッテル貼ってくる(「客にキレそう」「店長に文句言いそう」など)けど、会社でバイトするのもなかなかにストレスだから。ってか、プレッシャーもあるし。そういう安直なレッテル貼りに対してヘラヘラ笑えるのもストレス耐性ある証拠だろ。
会社で仕事できない中年やら管理職に、丁重にお願いや相談するのだいぶストレスだぞ。何回も同じ事質問されたりするし。「それさっきも言ったやん!」「いやそれ資料見ろや」みたいなことたくさんあるし。おめえらが「メニュー見ろや」「この客感じわる」みたいな奴のお客が常連で毎回いるみたいな状態だぞ。それをなんとかなだめすかしたり、気を使ったりして味方につけて、仕事しやすくしたりするのが「会社バイト」の醍醐味だからな。なんなんそのレッテル貼り。腹たつわー。
って書いてて思ったけど、これ働いてた頃もそうだったわ。飲食バイトくらいでストレス耐性ついたと思って、会社バイトの人たちを「ストレス耐性ない」と断じる奴は、就職してからストレス耐性がついてないことに気づくと思います。知らんけど。
この頃、生徒時代の親友が異動で遊べるところにやってきた。ここから遊びにブーストがかかった印象。課程の連中も、部活もバイトの連中も、名古屋の人はケチなので、遊びそのものが面白くなかったけど、やはり奴らの遊びに対する真摯さは群を抜いている。あ、たまに横須賀行ったり、地元の旧交を温める機会もあって人付き合いがリスタートした感じがある。
◆3年生
所属する団体で自由に振る舞えるようになる。バリバリの改革派で、色々なことを変えた自負はある。でも、僕の掲げたビジョンと、現在の立ち位置から見える景色や、現有戦力に乖離がありすぎて、うまくいかない。民度の低さと一言で片付けてもいいんだけど、民度を向上させることも施策として考えるべきだった。「一度痛い目にあってみれば、わかるはず!」と考えて、本当に最後の最後のセーフティーネットだけ準備して痛い目にあってもらってんだけど、全く改善されない様子を見て、「ああ、この方法ではダメだったか…」と気づいたんだけど、遅かった。
もっと、好意を集めて、感化善導していくスタイル(相手の自主的な変化を待つのではなく)でいくべきだった。やっぱ、時代はインタラクティブが鍵だと、ここでも痛感。
夏にいくつかインターンにいき、行ったところほぼ全てから内定をもらう。で、就活は終了した。「うらやまし〜」とか色々言われたけど、長期インターンは正直しんどかった。まず、長期インターンに参加する奴らと僕では、持ってる知識量が違う。具体的にあげれば、企画を出すときの思考法(KJ法とか)からクリエーティブのディティール(フォントとか)まで、そういうことをちゃんと授業やゼミ、サークルで身につけてきていた。それが大多数で、僕は突拍子も無いことを さも「ブレイクスルーできそうな案」「本質をついてそうな案」っぽくでっち上げて提案することしかできなかった。
正直、自信を完全に喪失した。インプット量でも、アウトプットの質でも、アイデアのセンスでも、学内ではあまり負けないだろう、と思っていたのだけど、世の中は全然甘くない。僕はまだまだだし、雑魚だ。長期インターン中、友人の家に泊まらせてもらったんだけど、急に深夜目が覚めて、辛すぎて号泣した。見られるのが恥ずかしすぎて、スマホと充電器と財布だけ持って近所のビジネスホテルに泊まった。そしたら財布の中のお金じゃ足りなくて、カードで決済した。
インターンの同期は朝、スタバ片手に部屋に現れて、お昼になると小洒落た通りの露天の手作り弁当を買ってきて食べてた。僕も真似してそんなことをしてみたら、みるみるうちに財布からお金が消えていった。僕は晩ごはんも朝ごはんも自分で買わないといけない。彼らは実家で作ってもらえる。寝坊すれば僕はタクシー、みんなは親が送ってくれる。お金がなくてもお弁当を作ってもらえる。
東京に実家もないし、実力もお金もないし、心に余裕もない。もうこんなの無理ゲーじゃん。って本気で思ってた。やりたいことをするためのモノが、僕には何もないことにようやく気づいた。
書いてみるとこんなのよくブログで見るな、みたいなストーリーになった。振り返ってみると、誇張してると思ってた孤独感溢れる「人生しんどい」みたいなブログ、実話だわ。
まあリアルに泣きながら、体調とメンタルをズタボロにされながら長期インターンを何社か回って、血反吐を吐きながら選考通ってなんとか3年生の12月には進路が決まりました。よかったよかった。まだみんなは当然 就活なんてしてなくて、「みんな呑気だなー」とずっと思ってた。よかった、暑いなかリクルートスーツ着る羽目にならなくて。
そこからはバイトとデートと飲み会の日々。
◆4年生
飲み会でちょくちょく上京したり、暇だったので北海道行ったり。旅行にむちゃくちゃ行った。東海地方にいるものあと少しだなー、と思ったので岐阜県やら三重県やらの観光地をフラフラ。
今のうちに行かないと、愛知出身のアドバンテージなくなるなあと思っていろんなお店に行ったり、歴史や土地の勉強したりもした。細かいいろんなことを「知っている」というのは最初は「あ、これ愛知出身が希少な世界ではアドバンテージになる!」と思っていたんだけど、歴史を知ったりするってのは、シンプルに楽しい。縁のある場所のことを学ぶのは、人生を豊かにする秘訣だ。なので、いつも安いチェーン店やどこにでもあるようなマイルドヤンキーが経営する安いだけのお店に行ったり、インバウンド向けの観光地を回っている人たちは勿体無いな、と思いました。
あ、4年生の大半は卒論に費やした。郷土史研究やライフヒストリー調査ってのがなぜだかここでも活きてきた。研究会なんかに参加したり、主催したりして、すごく楽しくやることができました。本来楽しいはずの卒論のお勉強(だって、学びたいな、とか、面白いな、と思う学部に進学してるんでしょ?そうじゃないなら、主体性ある人生ではないので、色々考え直したほうがいいよ)が辛いと言っている人をみてるとなんだかなあ、と思う。これは自慢なんだけど、卒論では学会賞を受賞しました!やったね!
あとはまだ続いてるんだけど、バイト漬けで楽しかった〜。バイトだって自分で選べるモノのひとつ。主体性を持って考えることができれば、楽しいはずなので、辛いと言っている人たちは色々考え直したほうがいいよね。会社バイトの醍醐味を前述したけど、やはり人と接する(お客-店員 ではなく、立場の上下はあっても本質的には対等である同僚として)のは楽しい。
4年間で痛感したのは、「他人は鏡」だということ。ちょっと強面の上長も、こちらが笑顔で前向きに接すれば、相応の姿勢で返してくれる。逆に、イマイチな感じで後輩が来ると、こちらも気分が乗らないので、よくしてあげられない。機嫌の変動はあるけど、パブリックな場では、なるべくフラットな変動になるように努力して、感じ良くしていきたい。
低年次の頃は、周りの人間がデキないやつだと思って接したことが「鏡となって」帰ってきて、あまり信用されなかった感がある。でも、バイト先やインターン先の上長と接して「他人は鏡」であることがなんとなく本質的に理解できてきてからは、(つまり高年次になってからは)周囲を信頼するようにして、なんとなく「鏡となって」信頼された感じがする。平たく言えば「頼られることが増えた」ということ。
「他人は鏡」はトラブル予防とメンタルヘルスにも役立つ。「こいつは危ない」「こいつはストレスの元」と思う人間に対しては、適当にあしらえば「他人は鏡」なので、向こうも必要以上に接してこない。まあ、どこで線引きをするのかについては、まだまだ磨きが必要ですね。逃した魚が大きいことも度々。選球眼を磨いていこう。
以上、総括すると「学ぶことの面白さ」と「他人は鏡」ということを学んだ4年間でした。良き学生生活でした!お世話になりましたみなさまに感謝!
日記(0120-0126)
◆01/20
えーっもう日曜日!?って感じ。久々に麻雀などする
◆01/21
大学最後だと思われるプレゼンテーション。大学間に何回プレゼンしたんだろ。練習は大事だな〜と、最後でもやはり思いました。その後、部活の飲み会→別の飲み会。ブッキングしちゃってたのよね。ほどほどに楽しみました
◆01/22
東区。まあそれなりに面白かった
◆01/23
打ち合わせと予約取り。のち、ミーティング。面白いくらいトントン拍子に進む。いつものホルモン、いつもの鉄板焼き、初めてのラーメン。ホルモンはお父さんが相変わらず。鉄板焼き…そんなに安くもないな
◆01/24
東区。GOTEIAN☆かます。なんだかよくわからないレスポンスをいただく。その後、同期とお寿司。最高にうまかった!あのような居酒屋は楽しくて良い
◆01/25
午前に引き継ぎ、午後お隣。久々のメンバー、後輩に”傾聴”をしてみる。苦手だ
◆01/26
読書。見よう見まねで構築作業してみたけど、意外にいけるかも!同期に多謝