こちらは青春番外地

ツイッターでは溢れることを書きます。「ですます」「である」が混在していますが、書いた時の気分次第です。面倒なので統一はしません。

原体験について①~その有為性に焦点を当てて~

◆先日、「リクルート出身者は”原体験”というフレーズが好き」というような話を聞いた。先輩がリクルートから転職した人で、その人から同期が聞き、それが僕に伝わった。ツイッターでもこれに近いものをみたので、割と流通している話なのかもしれない。

◆バイトの後輩などから、「就活してないようなもんでしたけど(=めちゃ早く終わってましたけど)、どうやったんですか?」と聞かれて、だいたい「好きなことと自分の性格を考えて、調べていったら案外すぐ行きたい会社は決まるのではないかな」というようなことをしゃべっていたのだけど、これって要するに”何が自分の原体験か”を理解するということかもしれない。

◆だいたいの決定には理由が伴う。この理由に脆弱さがあると、相手の不信感を増長させたりや理解の正確さは下がったりして、結果的には採用されないわけだ。決定や行為の根源となる理由について、正しい原体験がついていれば、信用を増長させ正しい理解へ誘導できる。結果的に、採用に近づく。

◆僕は就活の効用は自分自身の理解だろうと思っている。実は、この行為自体は高校の選択あるいは大学の選択といった、それぞれの場面における人生のターニングポイントで行われなければならないこと。これまでの人生のターニングポイントで妥協していれば、適切に自分自身を理解することが出来ずに就職活動を迎えることとなり、結果は芳しくないものとなるのではないだろうか。

◆原体験の脆弱/強靭の違いは、その場面に遭遇するという「運」の要素もあるが、場面に遭遇する、また場面において多くの情報を収集しようとする「行動力」に依存する。

◆このことを理解していると、「かんぴょう巻き」を食べるようなことはしない。ここでいう「かんぴょう巻きを食べる」という行為については、また別に書いてみたい。

◆話を戻すと、これまで原体験を掘り下げたり整理することが有為であるということを書いていたけれど、実はより意味のある「原体験を行う」ことの方が重要である。それが原体験の脆弱/強靭さの作り方、という話になるのだけど、長くなりそうなので、この記事では原体験の有為性まで記しておしまいにする。