こちらは青春番外地

ツイッターでは溢れることを書きます。「ですます」「である」が混在していますが、書いた時の気分次第です。面倒なので統一はしません。

これからの知ってる!について。

 昔と比べて、「分かる!」の内容が違ってきているように感じています。

 情報が本や伝聞でしか入らず、本も安価ではなかった時代。この時代の「分かる!」は一冊の本をなんども読み、中身を理解し自らの解釈をする行為ではなかったのでしょうか。今の時代は、インターネット百科事典を使って、広範な領域の情報をたくさん得ることができます。その速度は、自らの思考のスピードを上回っています。つまり情報を得る速度が、理解し解釈する速度を遥かに上回っている時代です。

 一つの物事の一通りの事実や主張はすぐに情報として得てしまえます。その結果、考えるプロセスを経ずとも、旧来通りの選択ができるようになりました。

 僕は少し寂しく思っています。本当の情報や物事の楽しみは、知ることではなく、考えることだと思っているからです。不足する情報を予測して補完する。その不足した情報の正解を知り、是非について楽しむ。そして、その先に思いを馳せる。ここに思考の楽しさがあるのではないでしょうか。

 では、情報のスピードが思考のスピードを上回った今、どうすれば思考の楽しさを味わうことができるのでしょうか。

 その答えは、会話だと思っています。会話中、情報の入り口は減少しスピードが低下します。一方で、2人の頭で考えるわけですから思考のスピードは上昇します。会話することで、情報のスピードと会話のスピードがより接近します。

 会話はインタラクティブの究極点です。インタラクティブが発展・進歩することで、再び人間は思考を楽しむことができるのではないか?と期待しています。(だから僕はインタラクティブ業界を志望したのですが...。)

 いくらAIやICTが発展しようとも、時代で手法は変われども、人間が楽しむのは思考そのものです。その肝はインタラクティブです。人との会話を楽しんでいきましょ。

 

み、短い!