こちらは青春番外地

ツイッターでは溢れることを書きます。「ですます」「である」が混在していますが、書いた時の気分次第です。面倒なので統一はしません。

面白い会話について。

◆久々に遅くまで人と話した。時間が遅くなると、ついつい余計なことやしょーもないことを喋りすぎてしまう。自分の思っていること、自分の伝えたいことをやたらめったらに喋っていると、いつの間にか自分の知らないことまで喋っている。

◆自分の知らないことを喋っているというのは非常に面白い。当然、知識として記憶していることを話しているつもりが、その当時の感情や物事の解釈を積み重ねていくと、いつの間にか全く「知らないこと」(=新たに気づいたこと)になっている。

◆しかも、その「知らないこと」について会話していく中で、シームレスに、会話相手からレスポンスがくる。このインタラクティブなやりとりの中で、思考と情報のスピードは一般の大学の講義やディスカッションをはるかに上回る。

◆視点をずらして、正確さの観点から見てみたい。ここでの知識や情報の正確さは、講義やディスカッションに比べてかなり劣る。それは、手元に資料や記録がなく、さらに事前にテーマの共有が行われているわけでもないので事前の情報整理も行われてないからだ。

◆一般に多くの物事で、正確さとスピード感がトレードオフの関係にあることは知られている。しかしながら、情報通信技術の発展によって、飲み屋であっても大学の教室であっても、ある程度の確度の情報であれば、スピード感を損なわずに得ることができる。

◆これからの会話は、正確さの向上に見られるように、できることが増えていく。面白い会話の質やありようは良くなっていくはず。その変化に対応し楽しめるように、自らの知識やセンスを楽しく鍛えていきたい。

地元について。

 皆さんにとって地元はどんな場所でしょうか。僕の親しい人には「地元最高!」っていう投稿をよくしてる人もいれば、地元を心から軽蔑している人もいます。周囲の人間と比較して、僕は地元を生活の基盤にしている時間の絶対値が低いので、あまり地元に対して愛着もなければ、嫌うほどの感情もありません。でも、どちらかというと地元には負の印象を持っています。それは、僕の人生や考え方に影響を与える出会いや出来事がなかったからです。(地元以外で住んでいる時間でとても影響を受けたので、相対的にそうなるということ。)

 それはさておき、ここ数年ですごく思うのは、「地元最高!」って人は一体地元のどこを良いと感じているのだろう?ってことです。僕の身の回りの「地元最高!」って人の大体は地元を出たことない人なので、地元とそれ以外の違いをどのように観測しているのだろう?と思っています。

 そもそも、僕が驚いたのは、「地元」の範囲が中学校区、下手すれば小学校区を指しているということです。僕は豊田市の生まれですが、名古屋(話す相手が北海道の人であれば岐阜くらいまで)くらいまでは地元、という認識でした。

 僕は、自分の中学校区を指して「良い!」と言えるのはでかい公園があるくらいで(でもその公園も大規模な高齢者のマレットゴルフ場になってしまった)、その他なにが「最高!」なのかはわかりません。ぜひ教えて欲しいです。僕らの地元、なにが最高なの?

 「地元最高!」という投稿は、友人との食事で頻繁に見受けられます。つまり、友人と接するなかで、「最高!」なことがあるのでしょうか。僕は友人が少ない方でもなければ、多い方でもないのですが、考え方や生き方について色濃く影響を与えてくれた地元の友達はそこまで多くありません。同じような境遇だからこそ話せる話もあるのでしょうが、僕にはあまり相談するような困ったこともありませんし、最近気付いたのですが割と地元の友人とは社会階層が違うようですので、これに類する話題はありません。これも僕が「地元最高!」と思わない要因なのでしょうか。

 僕の中で今一番有力な説は、地元の友人が本を読まず映画を見ないということです。僕らの地元は2年くらい前まで映画館がありませんでした。駅にあった本屋も潰れてしまいました。一方で、大学や横須賀の友人は、マイヤンっぽい気質であっても、文化的な前提が共有されていたように思います。そうした文化的前提により、「自分の気持ち」をより言語化できている人が多かったように思います。

 だからこそ、考えていることがよく伝わり、共有できたりしたのではないでしょうか。その共有の先に、感銘や影響を受ける関係が築けたような気がします。

 この文化的な前提が欠損しているというのは、田舎ではかなり起こりうるのではないでしょうか。逆に言えば、今の時代は親などが意識的に興味を誘導することで、補完できるものなのではないでしょうか。つまり、親世代がこの欠損に気づけないと、欠損は再生産され続けるということです。

 都会にいれば、ほぼ自動的に共有される文化的前提が、田舎では意識的に共有される必要がある。しかし、親世代がその重要性に気づけていないから、欠陥が再生産される。そうして、都会と田舎の格差は拡大を続けるのではないでしょうか。

 

 今年に入って、古い友人とちらほら会ったり、東京で新しい友達ができたりします。彼らと遊ぶととても楽しくて、「そう言えば、中学とかこういう楽しさなかったなー。大人になったってことかな?」などとと思っていたのですが、実は根深い問題かもしれませんね。でも、地元の良さ、知りたいです!と本気で思っていたりもします。ぜひ教えてください。

これからの知ってる!について。

 昔と比べて、「分かる!」の内容が違ってきているように感じています。

 情報が本や伝聞でしか入らず、本も安価ではなかった時代。この時代の「分かる!」は一冊の本をなんども読み、中身を理解し自らの解釈をする行為ではなかったのでしょうか。今の時代は、インターネット百科事典を使って、広範な領域の情報をたくさん得ることができます。その速度は、自らの思考のスピードを上回っています。つまり情報を得る速度が、理解し解釈する速度を遥かに上回っている時代です。

 一つの物事の一通りの事実や主張はすぐに情報として得てしまえます。その結果、考えるプロセスを経ずとも、旧来通りの選択ができるようになりました。

 僕は少し寂しく思っています。本当の情報や物事の楽しみは、知ることではなく、考えることだと思っているからです。不足する情報を予測して補完する。その不足した情報の正解を知り、是非について楽しむ。そして、その先に思いを馳せる。ここに思考の楽しさがあるのではないでしょうか。

 では、情報のスピードが思考のスピードを上回った今、どうすれば思考の楽しさを味わうことができるのでしょうか。

 その答えは、会話だと思っています。会話中、情報の入り口は減少しスピードが低下します。一方で、2人の頭で考えるわけですから思考のスピードは上昇します。会話することで、情報のスピードと会話のスピードがより接近します。

 会話はインタラクティブの究極点です。インタラクティブが発展・進歩することで、再び人間は思考を楽しむことができるのではないか?と期待しています。(だから僕はインタラクティブ業界を志望したのですが...。)

 いくらAIやICTが発展しようとも、時代で手法は変われども、人間が楽しむのは思考そのものです。その肝はインタラクティブです。人との会話を楽しんでいきましょ。

 

み、短い!

学生団体について。

 この4月まで、学生団体の取りしきりをしていました。かれこれ2年、いくつかの学生団体の運営をしてきたわけですが、そこで思ったことをつらつら書こうと思います。

 1)主体性について。

 多くの参加学生に主体性が無いように思いました。運営する立場になっても、与えられた役割を全うするだけで、全体像をイメージした上で連絡や作業をすることができません。この主体性を持たないというスタンスの背景には何があるのでしょうか。日本人独特の「出る杭を打つ」文化が原因だろうとぼんやりと思っていましたが、その文化を有していても主体性を持つ集団があることから、違うなーという気になっていました。

 最近では「関心がない」ということが原因であると思い始めました。さらにその原因は周囲の学生の多くが自分の「好きなこと」がわかっていないということです。そしてその根底にはこの地域の教育文化があると思うのですが、長くなるのでそこは割愛。

 2)なぜ学生団体に主体性が必要か?

 「長いものには巻かれろ」をよきとする文化があるのは十分に理解しているつもりですが、学生団体に参加するにあたり、それぞれの主体性は特に重要です。

 自覚はないかもしれませんが、我々は民主主義国家で暮らしています。それぞれが主体性ある行動を取ることは、民主主義の根幹です。その原体験を行う場として教育における学生団体が存在しているという、側面があります。(当然、学生団体の「活動そのもの」が最も重要なことです。)

 自らが所属している団体を選択し(好きなことを判別し)所属している集団に関心をもち(活動や組織の全体像を理解し)、主体性ある行動乃至議論をする。このことが民主主義の原体験として必要です。これを理解しないまま社会人となり、そのような社会人が多数を占めた時、この国における民主主義は死にます。

 民主主義が死んだ時、順番に弱いものから淘汰され搾取されます。かの有名なメー二ラーの言葉に以下のようなものがあります。

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

  所属する学生団体に関心を持たず、主体性を持って参加しないことは、まさにこの言葉の最初のステップです。学生団体は、長い歴史の中で、多くの先輩によって脈々と受け継げられて来ました。それは、先輩方が自分たちや後輩のために、実績を積み上げた、時に学校と喧嘩をしながら守って来た努力の結晶です。

 学生団体の民主主義を殺してしまえば、それらは無駄なものとなります。関心がないが故に、そうした想像すらもできず、主体性なくただ所属するだけの時間を過ごしていくことになります。果たして、そんな学生生活に価値があるのでしょうか。僕はその程度であれば所属するべきではないと思いますし(その時間をアルバイトや資格勉強にでも費やした方がタメになります)、所属する資格はないと思います。

 友人作り?繋がり作り?そんなものは学生団体に入る以外の手法でも得られますし、学生団体に入るのはその目的に対してのコスパが極めて悪いです。ゼミやら地元の友人の友人との食事会をした方がコスパが良いです。

 学生団体に入る最も重要な目的は「団体の活動への参加」であり、最も重要な意味は「民主主義の原体験」です。そのためには自分の「好きなこと」への理解を深め、「主体性を持って団体に参加する」ことが重要なのです。

 

ま、今日はこんな感じです。

教員志望をやめた理由について。

 教職課程を履修しています。教育に関する授業は非常に面白く、大学に入って最も面白いと感じた授業は教職の授業でした。教育に関する授業を受けてみたい、というモチベーションだけで過程を履修するもの大いにアリだと思います。

 元々は、親が大学の学費を出す条件として、教員免許の取得をあげられたので、履修を始めました。受けてみると授業が面白く、また教育の重要性を理解するにつれ、教員になりたいという思いは強くなっていました。

 しかし、進路選択として、「新卒で教員になる」という選択はしませんでした。その判断の理由について考えてみます。

 1)教員の労働環境

 最近、教員の労働環境が劣悪であるという報道がよくみられます。私が直接聞いた話もかなりひどいと思うものが多かったです。僕は、「人生を楽しむ大人」を具現するのが教員の仕事の一つだと思いますし、教員になるのであればそういった教員になりたいと思っています。教育が終了したら生活は面白くない、なんてことを子どもに思って欲しくないからです。

 また、教員には「学ぶことの楽しさ」も具現していく必要があると思います。勉強する理由はたくさんありますが、大きなものとして「人生を楽しむため」ということがあります。江戸時代の歴史を学べば、江戸時代を舞台にした映画をもっと楽しむことができます。花の咲き方を学べば、四季折々の花を楽しむことができます。

 そのためには、教員自らが学び続け、楽しみ続ける時間や心身の余裕を確保する必要があります。

 今の教員を取り巻く労働環境では、僕の理想とする教員にはなれないと思いました。

 2)学識の不足

 僕は高校の社会科の教員になりたいと思っていました。社会科という科目は地理から公民まで、かなり広範な学問領域を内包します。なので、学部レベルの学修でこれらの楽しさを伝えることは難しいと思いました。何か一つの専門領域を修士・博士レベルまで高めて、より効率的な学修手法を身につける必要があります。

 学部卒業の段階では、僕の理想とする教員にはなれないと思いました。

 3)業務がルーティーン化している

 学校は毎年同じ時期に、同じイベントが予定されています。授業で行う教科書の内容も毎年コロコロと変わるものではありません。ある程度の年数が経過すれば、ほとんどの業務がルーティーン化してしまうように感じました。

 最初に書いた過酷な労働環境も合わせて、自己成長する機会が少ないように思えます。また、休職しての大学院進学もあまり一般化していません。研修制度も民間企業ほどの充実はしていないようです。

 自分自身の知見やスキルアップには繋がらないように思いました。

 おまけ)学校における教育者という人種について

 僕は、学校における教育者という人種と相性が悪いようです。教職課程で教鞭をとる現場教員上がりの講師の授業では全く良い評価を取れませんでした。一方、研究者が教鞭をとる普通の教職の講義では良い評価を得ることができました。

 その原因は、「言われた通りのことをしない」ことだと思われます。例えば、学習指導案もフォーマット通りに指定された単語を用いて書くことで高評価を得られます。僕はこの指導は「評価のための指導」にすぎず、「学習者のための指導」ではないように思いました。

 授業というのは相互作用です。学習者には学習者のリズムがあり、講師には講師のリズムがあります。それに合わせて授業を展開していく必要があると思います。教師の力量とは、それらに対応しうる引き出しの多さだとも思います。

 また、知識を得る方法も学習者によって異なります。テキストに色ペンをたくさん使い綺麗にまとめて覚えるスタイルもあれば、なんども読み返すことで頭に入れるスタイルもあります。なので、「色ペンを使い、綺麗にまとめればA」のような評価は学習者のためにならないと考えます。

 周りの教職課程の学生は、この「評価のための指導」に合わせることになれきっており、この新卒の学生がこの調子では、これからもこの風潮は変わりそうにありません。こういう人とは同じ職場では働きたくないと思いました。

 

 また思うことをつらつらと書きました。何かの参考になれば。

リーダーのあり方について。

 卒業論文の中で、リーダーについて考えることがあったので、備忘録的に記して見ます。

 僕は軍隊オタクなので、日本陸軍のリーダーたちから、リーダーのあり方について考えてみようと思います。

 日本陸軍においてまず注目すべきリーダーは山縣有朋です。彼は、日本陸軍の基礎を作り上げ、「国軍の父」とまで呼ばれる人物です。巧みな政治的手腕で、軍政家としてリーダーシップを発揮しました。軍隊自体が黎明期であったこともあり、彼が築いた派閥が陸軍の大勢を占めることとなります。派閥構築までの手法の是非には議論がありますが、彼の強いリーダーシップが日本陸軍の基礎を作り上げたことに異論はないかと思います。

 しかしながら、軍隊が成熟することで組織が複雑・巨大化したことや、日清戦争において人材の喪失・分散が発生したことで、一人のハイタレントなリーダーが軍隊機構全てを管理することが困難になり、山縣一人の陸軍から、徐々に多くのスタッフにより運営される組織へ移行していきます。

 スタッフによる運営が行われて以降、それを支えるべくシステムも変化し、システムを構築する人間にリーダーシップが求められることになります。児玉源太郎田中義一といった実務家タイプのリーダーが活躍する時代です。

 こののち、陸軍のリーダーは武将のような、責任はとるが口は出さない、部下に自由にやらせ、ドンと構えるのが良いとされ、少壮軍人の台頭を招きます。

 時局は混迷し、軍隊機構内部で停滞感が漂う といった背景から、石原莞爾永田鉄山に代表される再びハイタレント型のリーダーが出現し、活躍する時代を迎えます。彼らの動きは急進的であり、組織に混乱を招き、石原は失脚、永田は暗殺されます。

 日本陸軍におけるリーダーの変遷としては以上です。ただし、当然書ききれない他の要素があることも記しておきます。

 ここからわかるのは、

 1)黎明期にはハイタレント型のリーダーが活躍する

 2)規模が拡大すると実務型のリーダーが活躍する

 3)時局・組織に停滞感が漂い始めると再びハイタレント型のリーダーが活躍する

 という流れがあるのではないか、ということです。

 ハイタレント型のリーダーは、ビジョンを設定し集団を導くと同時に、自らが退いた後も、組織が円滑に運営されるようにシステムを整備する必要があると言えます。いっっぽうで、実務型のリーダーは、組織に停滞感をもたらすことのないよう、運営の中で施策を打つ必要があるといえます。

 学生団体では、ハイタレント型のリーダーによって多くの変革が行われますが、世代交代後これらの取り組みが継続することはあまり見られません。実務型のリーダーによるシステム整備が行われないことが原因だと思われます。

 いつものように思うことをつらつらと書きました。何かの参考になれば。

就職活動について。

 周りの友達も就活を終え始めました。

 手前味噌ですが、僕はリクルートスーツすら買わずに、合説(合同説明会の略称らしい。)に1度も行かないまま就活を終えました。

 戦略でいえば、僕はみんなが就活を始めるより早く始めること(早く終わること)、正規の採用とは違う採用ルートを狙う、という2つの着眼点で、ブルーオーシャンを主戦場にするというものでした。結果としては大正解で、3社受けて3社の内定をいただきました。

 もっと細かい、具体的な方法論としては大学のガイダンスに出席しないこと、みんなとは違う視点で情報を集めること、この2点で差別化を図りました。

 たまたま大学の就職支援担当の方と知り合いで、大学の就職課の人たちが高度で専門的な教育を受けたプロフェッショナルではないということを聞いていたので、これらを一切に使わないという判断をしました。

 違う視点というのはかなりシンプルで、個別の企業や業界についてではなくもっと広い領域(世界的な潮流や規制緩和など)というマクロな視点と、希望の企業の歴史的変遷というミクロな視点を大切にしました。

 ただ、終わってみるとこの方法論はあくまで企業研究の手法でしかなくて、実際に面接で役立つものではない、というのが感想です。

 就職活動では「個性」やら「自分らしさ」などが重要であると言われているそうです。僕はこれは少し違うなー、と思っています。

 そもそも、「自分らしさ」とは一体何なのでしょうか。

 一個人固有の原体験からくる発想や思想のことでしょうか。では、似たような原体験を持っていれば、似通った人間になるのでしょうか。そんなことはないと思います。同じ原体験を共有していても、その解釈はそれぞれで異なり、似通った人間になるケースは少ないように思います。

 僕は、「自分らしさ」は「他者から自分への期待」だと思っています。

 他人や所属する組織から見て、自分はどういった役割を期待されていると思っているのか、というのが「自分らしさ」ではないかと思っています。

 つまり、「らしさ」というのは、「◯◯だったらこう考えるだろう」という期待、ということです。そのために、自分が思う「らしさ」と他者が思う「らしさ」に乖離があると、人は悩むのではないかと思っています。

 以上のように考えると、就職活動は、自分が思う「自分らしさ」と企業が考える「あなたらしさ」のマッチングだと考えることができます。逆を捉えると、企業の考える「あなたらしさ」と自分の思う「自分らしさ」をマッチさせることができれば、内定をもらえるのではないか?ということです。

 僕は自分の原体験を書き出して、希望する会社の社風からすると僕の原体験からどういう「自分らしさ」を期待するだろうか?と考えて面接にのぞみました。

 受けた3社は3社ともかなり毛色の違う会社だったので、それぞれに異なる自分像を話しましたが、どれも自分の一面だったので、すんなりと会話することができました。

 「自分らしさ」の素となる原体験には多数の側面がありますから、「自分らしさ」にも多数の側面があると考えることができます。なので、複数の人物像を語るのは、嘘をつくというよりも、自らの多面性に気づき始めるという感覚ではないかと思います。

 

 

 思うことをつらつらと書きましたが、これから就活を始める方にとって新たな視点となれば嬉しいです。