こちらは青春番外地

ツイッターでは溢れることを書きます。「ですます」「である」が混在していますが、書いた時の気分次第です。面倒なので統一はしません。

卒業論文について。

◆卒論を書いています。スタイルとしては、先行研究に対して、こういうアプローチからも同じ結果が得られました、という話になるはずだったのですが、結果が想像の斜め上を行く結果となりました。

◆けれど、先行研究を覆すような画期的な結果になるわけではないので、新たな知見!と鼻息荒く語るものでもないのですが、ずっとこれについて考えていたので、個人的には興奮しています。あまり共有できる感動ではないのですが。

◆ある分析手法を使うのですが、このことが定性的に語られることの多い分野において、定量的な切り口で、かつあまりないアプローチなので面白いだろう!と思って始めたものなのですが、分析に費やす労力に対して成果物のインパクトが非常に弱いので、「これ本当に説得力になり得るのだろうか。。。無駄になりそう。。。辛い。。。」と指導教員のみなさまに複数回にわたって愚痴っていましたが、「それはまだまとめてみて報われたことがないから辛いのだよ、一回報われてみると楽しくなるはずだから」と励ましてもらい、なんとか一旦の成果物を出すことができました。

◆その結果が個人的に(=学術的にインパクトのあることではない=所詮、学部生だし)衝撃的な結果でとても興奮しております(2度目)。

◆なるほど、これが「一回報われる」という経験なのか、と感動しております。こういうことを体験として繰り返してみたら研究好きになるのも良くわかります。というか好きになりつつあります。

◆話をいつもの話題にします。実際に汗をかいて経験をしてみないとわからないことってたくさんあると思います。勉強や研究の楽しさってのもここに類するのかと。このような「努力して報われる経験」の多さが人間の魅力だとか厚み・凄みを増やすんじゃないかと、最近思います。

◆身の回りに最近湧いてでている「将来は起業します」「転職ありきの就職です」という人たちは、そうしたポリシーや結論にたどり着くまでに、「努力して報われる」ような経験を経ているのかな?という疑問が最近あります。

◆「将来起業するマン」は往々にして「儲けるため」だとか「サラリーマンは搾取される側」のような損得勘定を持ち出して判断基準とします。実際に起業した人もそういう話をしていますが、多くは照れ隠しだと思います。本当はやりたいことなどポリシーや理念があるんだけれども、それをいい歳して語るのは恥ずかしいので、照れ隠しに金銭での利得や役得について語っていることがよくあると思います。

◆奴ら「将来起業するマン」のうち、本物の人たちは、何らかの原体験があって理想や理念を実現し、胸が熱くなるようなことをするために起業すると語ります。根底にあるのが損得ではなくより良き世界にしたいといった考えなんですね。就活の時期に湧いて出てくる彼ら偽物は、そんな信念があるわけでもなく、ただ言っているだけです。

◆なぜ偽物がそういうことを言ってしまえるかというと、「努力して報われる」ような経験を積んでいないから、達成するという経験の尊さを理解できないのです。だから、損得の話を持ち出しざるを得ない。

◆偽物の多くは自己評価が高かったり、自己愛が強かったりして、他者とは違うということをアピールしたがります。ですが、強烈な原体験がないので、熱い想いを語ることができない。だから、損得で語るしかない。

◆損得で人生を決めるような、そんなつまらない人生は歩みたくないですね。そしてそのことに気づけないような人生を送りたくもないですね。

◆(先日、先行研究を当たるということで、ある著者の本を全て読みました。僕は「何やねん!5冊も本出しといて言いたいこと一緒やん!」と思い、これを愉快な話だとして喋りまくりました。でも、どれだけ勉強しても一人の人間の伝えたいことって一緒なのかもしれませんね。僕もブログを書いてみて言ってること全部一緒じゃねえか!と気付きました。反省?)