こちらは青春番外地

ツイッターでは溢れることを書きます。「ですます」「である」が混在していますが、書いた時の気分次第です。面倒なので統一はしません。

「ゲットアウト」とファッション好きについて。

◆かなりようやく「ゲットアウト」見た。予告編などで見る限り「ただのホラー映画」という印象だったけど、完全に理解するには実はかなり政治的/歴史的な教養の必要とされる映画だな。

◆で、これ違ったらなんやねん!って感じなんだけど、多分登場人物の服装が赤系と青系で分かれてる(正確にはほとんど赤で主人公とかだけ青)なんだけど、これって多分共和党系と民主党系で分けてあるよね。

◆2年生の頃、教育心理学の先生が、「私はブルーカラーの人間でありたいので、シャツは青系を着ます」と言っていたのを思い出した。「ファッションは自己表現」ってのは、「自分らしさ」っていう意味もあるんだろうけど、本当は「主義主張」の表現でも意味が強いのかも。

◆誰とは言わないけれど、周囲の人間に「ファッション好き」と言ってマツコデラックスのような(または落合陽一のような)服を着て「わかってます」感出してる人いるんだけど、彼らは本当の意味で「ファッションを自己表現」として着れているのかな?

◆手前味噌、僕は主義主張は「言葉に宿る」と思っていたのであまりファッションを通じて自己表現したことはなかったんだけど、この映画を見て「自己主張としてのファッション」も大いにアリだと思った。

◆「好きなものを着る」のは素敵だと思う。けれど、「自己主張」っていう言葉まで使うんだったら、自分のかなり深層にあるポリティカルだったりする主義主張をファッションで表現してほしいな。そうじゃないと、かなり薄っぺらい「自己主張」になってしまうんじゃないのかな。

◆ポリティカルでなくてもたくさんあって、例えばピンク着てエイズへの理解促進に関して自分の中にポリシーがありますだとか、そういうのでもありだと思うんだよね。

◆何よりどうかな?と思うのが、著名人が話す「ファッションは自己表現」の深掘りをせずに、その言葉だけ大事にしてること。「ファッションは自己表現」というのは「好きなものを着る」「周りの目は気にしない」とかそんなレベルではなくて、社会的な主張だとか、自分のスタンスだとか、そういうことも内包してるはずなんだよ。耳障りが良くてかっこいいフレーズだけに、何も考えず感銘を受けてしまう(受けてないんだけど)のわかるけど、自分の血肉にするんだったらもっと深堀して真剣に考えてみないとダメだよ。